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Like The Floating Moon pt.2

音楽レビュー、読んだ本、ひとりごと。記事を書く時の「冗長さ」と書かない時の「やる気の無さ」の落差が非常に激しいブログです。

「可視化」「顕性化」の大切さ

数日前の深夜、SkypeTwitterのフォロワーの相談事に乗ってた時に色々とアドバイスしてたんだけれども、その時に気づいたことをメモっておく。「可視化」って大切なんだなーという話。この話はもしかしたら当たり前すぎてかなり薄っぺらい話かもしれないけれども、まだまだ未熟な大学生の自分にとってかなりの発見だと思ったので書いておこうと思った次第。

 

通話したフォロワー(以下「S」とする)は今年度から自分の所属する部活で部長に就くことになった。が、なるべくしてなったわけではないようでなかなかその仕事は大変そうである。そんな中、早速ある問題に当たってしまったらしい。以下がその簡単なあらましだ。(勿論Sには許可を得て掲載している)

 

Sの部活ではポスターを印刷する必要があった。印刷に使う画像データはすでにもう揃っている。印刷は月曜に入るまでに済ませる必要があった。今日は金曜日。つまり、印刷ができる日程は今日を含めて金曜、土曜、日曜となっている。Sは後輩たちに印刷を日曜までに済ませておくようにと頼んでいた。印刷する施設は学校の図書館を使うようにとも指示している。

しかし、後輩たちが土日に印刷しようとしたところ、図書館の閉館日だったために後輩らは印刷することができなかった。後輩の一人(S曰く「態度の悪い後輩」らしい)が、「Sが正しく指示ができなかった尻拭いをするためにS一人で印刷してきてほしい」とSに抗議。そのまま口論になりかけるが、ポスターの期限のこともあるのでSはそのままコンビニに向かいコンビニの印刷機でポスターを印刷した。(結局Sはその後輩の要求を呑むことになった)

 

Sはこのことに関して不満を持っていたらしい。おそらく、後輩たちが仕事を仕上げられなかったにもかかわらず、そのうちの一人の態度の悪い後輩からネチネチと文句を言われながら要求を呑まなければいけなかったことなどに関して腹を立てていたと思う。しかし僕はこの時、「それはまぁ、確かにそいつの口の悪さは酷いし、図書館の開館日を調べていなかった後輩たちも悪いけど、彼の言い分も一理あると思うよ」と正直に思ったことを答えた。

僕自身は自分のことについて、リーダーとして実際に人の上に立って動ける素質は全くと言っていいほどないと思っているんだけれども、「リーダーの仕事として、各々が自分の仕事を最大限に行えるように適切な指示を出すことは不可欠だ」と思っている。

では、「各々に適切な指示を出す」ためにはどうすればいいのか。ここで最初の「可視化」の話が出てくる。

人は「見えないもの」「わからないもの」に恐怖するものだ。実態の分からない幽霊や怪現象の類は言うまでもないが、先行きの分からないテスト勉強、考えが自分と全く違う人など。本質を見定められないという意味では「死」も含まれる。先行きのわからない仕事や勉強もまさにこの類。

そして、どうしても「恐怖」したものから「逃げよう」、それを「見なかったことにしよう」としてしまう。現に自分も、すぐ嫌なこと(=恐怖するもの)からは逃げてしまう質なので、例えばテスト勉強の計画を事前に立てていなかったばかりに勉強が先延ばしになってしまってテストの前日に痛い目を見たことなんかは数知れない。

 

しかし、それらの「見えないもの」を「見えるもの」にすればどうだろうか。はっきり「見えるもの」であればもうそれは怖くない。この「見えるもの」にしていく過程が、「可視化」だ。

「可視化」とは、「見えないもの」を数値や言葉などの具体的・詳細で明白な「データ」までに還元していき、「見えるもの」にしていく過程のことをいう。

僕はリーダーがすべきことはまさにここにあると思う。

たとえば、あるグループがたくさんのタスクを抱えているとする。リーダーはとりあえずそのタスクの中から直近1か月分ほどを抜き出し、その期限や納期をノートや手帳に記入する。そしてその仕事一つ一つに対して、例えば人員は誰々が必要か、使用する設備はいつ使用可能か、予算はいかほど必要か、などといった具体的なデータを見定め、それをメモしながらそのデータに従ってタスクのスケジュールを立てていく。

場合によっては新たな小さなタスク(アポの予定など)を「親タスク」に対する「子タスク」として設定して作成することもあるだろう。またタスクが複雑に絡み合っている場合、アローダイヤグラムを書いてみるのいいかもしれない。これがあると予定外に進行が遅れても比較的容易にスケジュールを組みなおすことができる。もちろん、スケジュールにできるだけ余裕を持たせることも大切だ。

 

これが「可視化」の具体的過程の一例。
Sの件でいえば、「印刷機のある図書館はいつ開館しているのか?」「図書館の印刷機が使えない場合はどこで印刷すればいいのか?」などの「具体的データ」を事前に集めておき、仕事を委託する後輩たちに「今日しか図書館が空いてないから急いで今日中に印刷してきて!」と頼むのが最善の策だったように思える。

(しかしそもそものところ、一日しかまともな余裕がないまでに追い込んでしまったそのスケジュール管理から改善していくべきだとは思うのだが。)

 

仕事のスケジュールなどの「見えないもの」から逃げる、もしくは「見えないもの」を、ある程度は「見えている」から大丈夫と勘違いする、あるいは相手を過剰に信頼し、「見えないもの」を丸投げしてしまう、このようなことが起こったときには、ゆくゆくは絶対にトラブルが発生する。

誰でも「見えないもの」からは逃げたいものである。いや、多くの場合「見えないもの」は文字通り「見えないもの」である。特に楽観主義者にとっては。そこに恐怖する対象があるという事実自体に気づきにくい。

究極的に言えば、「見えないもの」の存在に気づき、それを直視して「見えるもの」に還元して分析できる者、それは今まさにこのことを考えている自分しかいないのだ。

 

これらを踏まえて僕はSに、「リーダーとしての仕事に慣れて後輩がしっかり着いてくるまで、さっき俺が言った《可視化》を徹底的にやっていったほうがいいよ」とアドバイスした。後輩が育ったら育ったで後輩に裁量を任せられるところも出てくるだろうが、まずはここからだ。
提案する僕からしても少々面倒くさいことのように思えるが、しかしこの過程を踏まないと、結局「見えないもの」をわき目に見ながら途方に暮れることになってしまう。「見えないもの」という「現実」を直視し、これを確実に可視化していくことが大切だと思うし、一見面倒くさいことのように思える「可視化」が、実は一番現実的で一番ラクできる方法なのではないかと思う。
(しかし、これを実行するまでがなかなか難しいのだが)

 


 

 さて、この通話をしながら僕は、自分でも普段思いつかないことがアドバイスの途中でどんどん出てきて、我ながらアドバイスしている自分の口からも学ぶことがあったことに驚いた。不思議なことだが、僕の口はSに向かってアドバイスしていたのと同時に、僕自身に対してもアドバイスをしていたように感じたのである。

考えてみれば、僕は時間管理やスケジュールの管理が億劫すぎる節があるために、地元にいる親からいつも「スケジュールを立てておきなさい」「ステップバイステップで進めていきなさい」と言われ続けている。スケジュールを立てられていないという意味では、まさにSと同じ状況だ。

正直、言われた時には「わかったつもり」にはなっていても、その助言の真意を本当に理解することはなかったように思う。その助言は時折思い出すのだが、たいていは頭の中で「眠れる知識」となったままだった。

しかし、そのような「眠れる知識」がアドバイスをすることで「顕性化」したことにより、初めて自分の中でその真意を理解し、結果として「自分の口で自分にアドバイスする」ような感覚を覚えたのではないかと思う。

この「顕性化」というものは、「見えないもの」にあたる「眠れる知識」を、話すなどのきっかけで発露させて自分の中で意味を見出す、という意味で、「可視化」のプロセスと非常に似ている。というか「眠れる知識」と「恐怖」の関連度の薄さ以外は、ほとんど同じである。

顕性化により、実感を以て初めてその知識の「意味」を理解できるようになる。

ヒステリー症状を持つO.アンナという女性が催眠術下で自身の抑圧している記憶について思い出し、それを語ることで症状を改善できたという症例がある。フロイトはこの症例に着目し、彼女は抑圧された記憶(=ヒステリーの原因)の「意味」を理解してヒステリーから自身を解放したと解釈した、そんな話を見たことがある。この症例の分析から現代の精神分析学がスタートしたという。この「O.アンナ嬢の症例」こそ、まさに「顕性化」(意味の付与・理解)による効果の一例だと思う。

 

僕は今、外山滋比古が書いたかの有名な「思考の整理学」を読んでいる最中だが、まさに同じようなことがこの本にも書いていると思った。
氏によると、この「顕性化」の過程が新たな独創的なアイディアを生み出す大きな契機になりうるらしい。

僕の言い方で言えば、獲得したばかりの知識はそのままだと「見えないもの」(=理解できていない、鵜呑みの状態)である。そのままだと自分の考えに昇華できない。そこでその知識を眠らせておき(つまり一旦メモするなりした後は忘れておいて)、「眠れる知識」としておく。

その過程を繰り返し、様々な「眠れる知識」が頭の中で発酵した時に、何らかのきっかけでそれらが「顕性化」されると、その知識たちが関連付けられ、体系付けられ、自分の中で独特な「意味」が付与される。こうして初めて「アイディア」が生まれる。

悩み事をつらつらツイッターや日記やこんなところに書いていると突然突破口が開くことがある。これもやはり「書くこと」がきっかけとなった「顕正化」の一種だ。

 


 

まぁ実践できてない俺がこんなこと書いても、普段の俺を知ってる人からすればまさに「お前が言うな」って笑われるだろうしホント偉そうなこと言っちゃった感はあるけど。ていうかスケジュール管理とかも全くと言っていいほどできてないし、いつも直前になってバタバタするし。まぁ、ダメだって普段から意識してたからこそ、自覚して見えてきて書きたいものがあったんだろう・・・とか都合よく考えてお茶を濁してみるw

 

一番大切で一番大変なのが、この「可視化」「顕在化」を実際に実践し「続ける」こと。これが俺はできてない。基本的に口だけっていう一番ダメなパターン。大変だけど俺も頑張ろう、、まずは明日のスケジュール書くところからだな…

ここで、「スケジュールを書く」ことを「見えないもの」とみなして、またそこから逃げることのないようにしなきゃいけないなぁ。「見えないもの」を「見えるもの」と勘違いして解釈不十分なまま突っ走るのは危ないことだけど、「明らかに見えるもの」を「見えないもの」とみなしてそれから逃げ続けることほどもったいないことはないからだ。

 

自分で書いてて耳(目?)が痛いぞこれは・・・